令和の新年 不変の陰陽
令和として初めての新年を迎えるとき、紅白歌合戦の後の年明けの番組「ゆく年くる年」を見ておりました。すると徳島の山崎忌部神社の様子が放送され、あの大嘗祭で供えられた麻織物を織った巫女さんがおられる事も紹介されていました。
大嘗祭が行われた大嘗宮の公開時、私も見学に行ってまいりました。一時間以上ならんで大嘗宮が近づくに連れて、ひときわ高い屋根が二つ見えてきます。
その形状を文字で表すのは難しいのですが、城で言えばシャチホコのある位置、屋根の傾斜がそのまま伸びる形でVの字に角材が組んであります。それは千木(ちぎ)と呼ばれる社殿特有の屋根になっています。
大嘗宮に向かって右手の悠紀殿(ゆきでん)の千木(ちぎ)は、縁を地面に対して水平にしてあり、これは女の神様を奉じていることを意味します。
もう一つある向かって左手の主基殿(すきでん)の千木(ちぎ)は、逆に縁を地面に対して垂直に切られており男の神様を奉じている社の形態をしています。
男女、すなわち陰陽を表す屋根が両方とも並んであるのは、大嘗宮ならではと思えました。そして陰陽の二つ殿の真ん中の、陰陽の調和がとれているであろう所に南神門の鳥居があります。そこが、一番の撮影ポイントで多くの人が集まって鳥居をカメラに収めていました。
我々の経絡治療も、本治と標治の補瀉を通じて目指すところは陰陽の調和になると思います。その調和によって得られる健康が、多くの人の求める物であるのは間違いありません。それは、元号が幾度変わったとしても、変わらないことであるように思えます。(yasu-yasu)
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